2013年3月31日日曜日

北国の春

 William Gibson『あいどる』を読む。自分にとってのSFの存在は日々変わりつつある気がする。それは自分の中にある「仮定過去」の度合いが増えた事に起因するのだろうか。それにしても、素晴らしく面白い作品だ。煩わしい人間関係の唯一の救いでもある、その煩わしさを抑圧してしまえばどんな事になるのか。それはなかなかの恐ろしさを自分に喚起させてくれる。恐怖は捕まえられるうちに、捉えられるうちにというのがモットーなので。そんな言い訳を用意して、他者のもとに急ぐのである。今日、ガリガリくんコーンポタージュを食べたけれど、なかなか美味しかったですよ。コーンの粒もしっかり入っていたしね。

2013年3月30日土曜日

ゴムゴムの気円斬

 新宿にてPaul Thomas Anderson『The Master』を鑑賞。それにしても、ドラゴンボールの影響で凄い混雑でした。悟空恐るべしですよ。難解な題材を映像で捉える時に、場面場面で立ち現れてくる情景は。そして、人間の関係性によって立ち現れてくる亡霊のような存在を捉えようとする意志。
『The Master』という印象的なタイトルへの自問を常に継続させる、視点の力強さが最後まで失われる事はなかった。言葉で語ってしまうという、安易な誘惑から逃れ映像で語るという事の意味を思い知らされ、私は今混乱した、言葉を連ねている。暴力はその人間の感性に強く訴えると同時に、その感性によって捉えかたは大きく変わるのだと思う。相互の暴力に対する向かい方は何処かで交わり違う形を形成するのであろうか。本日のお昼は新宿で店員が全て中国人の立ち食い蕎麦屋で、カレーを食べましたとさ。

2013年3月29日金曜日

海へ行くつもりじゃなかった

 Karen Carpenterが歌い始める時に、言葉が音になる瞬間の緊張を強く感じた。帰りに目黒川沿いをお花見がてら、一回りしてきました。ちらほら葉桜になり始めていましたが、素晴らしい眺めでした。今更、手遅れな事かもしれないけど逆にだからこそ、開き直って邁進できるってものさ。夢中になって全てを独り占めできるほどの、手遅れさ加減をまさに今更、手に入れることに成功した。その手を開けば、次の瞬間には他の誰かの手の中に在りそうなモノではあるのだけど。

2013年3月28日木曜日

クローズアップ現代

 「脳の物理的な欠陥によるものではなく、計算論的な欠陥によって生じるまったく異なった病」何時の時代も「文学」はこういう事を語り続けて来たのだと思う。これからも、できるかぎり続けてほしいと願います。炭鉱のカナリアが鳴いています。そんな中、自分は細々と「法人」の勉強でもしようかと思っています。以前から予感はしていましたが、「法人」はかなりのクセモノなのです。はたして、「法人」を知ることは「人間」を知る事とどの様にか、繋がったりするのだろうか。恐らくお互いが縺れ合い馴れ合って、共存、親和しているのだろう。と何も知らない自分は考えている。予定調和的に。

2013年3月27日水曜日

businesslike

 文章を書くという行為の中に添削や編集の行為が含まれないと、それなりの文章に成らないなと思う。思い付くまま、手の動くままなんかでスラスラ文章なんて書けないのである。ゴツゴツとした言葉を一つずつ積み上げるようにして書かれるものだろうし、べきなのだろう。言葉を紡ぐなんていう言い方があるが、そこまで叙情的になる必要はないにしても、書きっぱなしや散らかしっぱなしはそろそろ大人なのだから辞めなくてはいけないのだよ。今日は一日頭が痛くて、本当に困った。

2013年3月26日火曜日

量子家族

 nhkFMで聴いていたGiacomo Pucciniのオペラに隣の金髪が聴くR&Bが凭れるように重なり合いとても心地よかった。個人的に美味しいモノを食べた時に美味しいと言う事や淋しい時に淋しいと言える事と同じように、行きたくない時に行きたくないと言う事は同じくらい大切な事だと思います。無理な時は全然無理なんだけどね。自分の意思とは無関係に流されていきます。「現実よ虚構の区別がつくことと、現実と虚構の区別がつかないことのあいだの区別がついていない。」平行世界は人間の意思決定にこそ大きな影響を与えるのだろう。どのように?それが人間の未来を左右するモノに成ることは間違いない。

2013年3月25日月曜日

梯子外し

 飲み物を飲んだ後に残った氷をガシガシ食べる。当然、うるさいので怒られます。それでも、氷が好きな自分はなかなか止められません。実は氷食症という病気があるらしくて、少しビクビクしています。鉄分が少ない人がなるようなのですが、自分は血のほうは濃いですし心当たりはないのですが。サプリメントでも飲んでみようかしら。というか、我慢できそうなので止める事にします。内的には安定しているけれど、外的には相変わらず不安定、極まりない状況だ。これで良いのだろうか、安心に胡坐をかいて動物的にも草食系にも成れずにいる。それは寧ろ良い事だね。僕は今日からさかな大好き男子なるんだもんね。

2013年3月24日日曜日

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川

 今日はMichael Hanekeの『Code inconnu』をdvdで鑑賞する。鑑賞後に自身の一挙手一投足を意識してしまう様な感覚に襲われる。視点が纏うその鋭い批評に感染してしまったのだろうか。その感覚は肉体的でリアルに影響する事が多いので、時にその感情を引きずってしまうが。そんな時はひたすら歩き、身体を動かして疲れてしまえば良いのですけど。その過程で身体と内面の波長が整うというか、なんというか。お昼に大勝軒でつけ麺を食すが、やはり魚介が効いている方がより良いと強く感じました。

2013年3月23日土曜日

中身が無くてもイメージがあればいいよ

 昨日の飲み会ではそこまで沢山飲酒をしていないのですが、途中から参加で空きっ腹に飲んだからか、今日は午前中いっぱい、胃の調子がおかしかったです。ぼーっとしながらテレビで流れていた映画試写会での中谷美紀の軽快なボケやツッコミをみて、さすが女優だなと。崩しの為の形の存在を久しぶりに思い出しました。午後は図書館にて、だらだら本選び。結局、なにも借りず更にだらだらを延長してだらだと就寝したいと思います。日本人特有のだらだらとした締りの無い夢を見ながら。

2013年3月22日金曜日

ボストン茶会事件

 いくら、真面目な顔で意味ありげな事を語ったとしても。帰りの車窓に写るふざけた自分の顔を見るとふりだしに戻る。モヒートを飲みたいとメニューをめくるが、意外と置いていない店が多い。飲みたいからといって、手軽に自宅で飲める訳ではないので、ぜひ常備しておいて頂きたい。モヒートを飲みながら天下国家について語ります。先日、桜が咲き始め、春が近づくと浮かれる人が増えて心配だ。なんて事を言ってたけど、桜の方が浮かれて少し早めに満開になってしまいそうですね。ほろ酔いで夜桜を眺めていると、いつの間にかあたりは静かに遠ざかり、おかしな世界に吸い込まれて行きそうになりました。怖いですね。

2013年3月21日木曜日

渋谷系うらりんご

 それにしても、渋谷は以前から不思議な街だと思っていたけど。東横線直通によって現れた地下迷宮やその上に聳え立つ Hikarieなどは、形骸化された都市が死んでも尚、進化を止められない足掻きを見せている様で不気味だ。それこそ資本主義の象徴が都市のカタチであり、先端なのであろう。北田暁大『広告都市・東京』を閉じて。迷宮を彷徨い、また開き、彷徨うことを繰り返しながら我が家へ着くが、その我が家も私達を広告の波からは救ってはくれない。それどころか、家こそが広告の巣窟だったりする。私達は疲れた体で眠りに就き画一化された広告の夢を蒲団の中で見るのだ。

2013年3月20日水曜日

Good Morning,and in case I don't see ya,good afternoon,good evening,and good night

 久しぶりにdisc unionに行ってレコードをシャカシャカ漁っておりました。結局、CDを二枚ほど買って帰宅。dvdで『トゥルーマン・ショー』を鑑賞してからの早めの夕飯を食べてブログ書いてます。今日は自転車で出掛けましたけど、桜がちらほら咲いていてもう春がそこまで来てますね。なんか、浮かれた人が多くなりそうで嫌な予感もしますけど。夜は全ての事を早めに済ませて、蒲団の中でむわむわ読書をしながら眠りたいと思います。ただ、nhkの『ためしてガッテン』おなら特集が気になりまくりではあります。

2013年3月19日火曜日

Flow my tears

 帰りの電車の中でほろ酔い、bookoffの100円コーナーで購入した。しりあがり寿『弥次喜多 in DEEP』を読みながら夢か現か解からなくなりながら、辛うじて優先席に座り帰ってきました。明日は最近では珍しい、週の真ん中にある祝日だ。何をしようかなと考えている内に終わってしまいそうなので映画『トゥルーマン・ショー』でも観て楽しもうかと計画しています。慣れてしまうことを恐れて、否定して生きることは出来ないけど、だからと言って慣れきってしまっては活きれないとも思う。そんな自分を飼いならしていく事はなんだか不自然だけど、しかたないかもね。ながら作業ですよ。

2013年3月18日月曜日

grammar

and(そして)
or(または)
nor(でもない)
but(しかし)
so(なので)
yet(しかし)
except(をのぞいて)
both A and B (AとBのどちらも)
either A or B (AとBのどちらか)
neither A nor B (AでもBでもない)
not only A but also B (AだけではなくBも)
rather A than B(BよりむしろA)
A as well as B(BとおなじくA)
however「しかし」, besides「そのうえ」, therefore「したがって」, otherwise「さもなくば」, furthermore「そのうえ」, moreover「そのうえ」, nevertheless「にもかかわらず」, nonetheless「にもかかわらず」, though「でも、けれど」
今日は残念だけど、接続詞、大好き。

2013年3月17日日曜日

Hikarie

 最近、空気清浄機を買ったのだけど、おならをするとセンサーが反応して素早く清浄してくれる。ある意味でおなら発見器になっている状態です。以前が閉じた状態だとすれば、今は完全に開いた状態。さまざまな事が自分の中に入り込んできて賑やかに毎日を送っています。諦めた感を継続する事は大変な部分もあるけれど、やっと自分のペースを掴めた感じは心地良いです。来週は安くても良いのでお寿司が食べたいですわ。

2013年3月16日土曜日

春にして君を離れ

 同じ事を繰り返し、汗水たらし努力してその後は美味いビールでも飲みながら、草お笑いに勤しむ。当然、本人は辛い思い、苦しい体験をしているに違いないが、問題自体は少しも変わらず其処に鎮座している。肝心の問題はゆれる事もづれる事もなく、その超然さに私達が定義されているかのよう。流れるプールで流れに逆らい同じ場所に留まりながら泳ぐ行為。少しも前に進まなくとも、自身の体力、筋力、持久力は確実に付くのだから無意味ではないのだろうか。頭の中で天下国家について、ぐるぐる考えながら家の中でひたすら、穀を潰す。そんな事するくらいなら、「さっさと自分の欲望を充たせよ」という女人の声が中途半端な距離から聞こえてくる。明る過ぎて、何も見えやしねぇや。

2013年3月15日金曜日

何でも大きな船に乗っている。

 縁石をつたって家まで帰る。バランスを上手い事取りながら慎重に歩みを進める。途中、油断をして歩道に降りてしまうが当然、此方の方が歩きやすく、そのまま家路へと急ぐ。来週は週の真ん中、水曜日に祝日がある。この浮き島のような休日をどのように使うか今から考え中です。休日に何をするか。と考える事は意外と幸せな時間であるのかもしれない。実は実際の休日よりも充実していたりして。休日はあっけなく終わり、また次の休日への思いを馳せる。

2013年3月14日木曜日

Conclave

 夢の中での旅は死を意味するそうだ。ある人は「ぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり 誰もみな手をふってはしばし別れる」と歌い。別の一人は「僕には旅に出る理由なんて何ひとつない 手を離してみようぜ つめたい花がこぼれ落ちそうさ」と歌う。二人とも違う言葉、メロディで同じ思いを歌う。意識的にしろ、無意識的にしろ。別々の作品や作者同士に何らかの繋がりや関係性を見出す事、それによる広がりを感じることは、個々の作品からの喜びより大きなモノなのだと思う。そして、その期待が自分を次の作品に向かわせる動機になっているのです。

2013年3月13日水曜日

koko

 通勤で渋谷から東横線に乗るのだが、直通運転が始まる影響で無くなってしまう電車を撮影する人達がホームに多く集まっている。以前、ある鉄道ファンが鉄道の公共性について話していた。それこそ鉄道の持つ、その公共性こそが素晴らしいところであり、愛すべきところだと言っていた。その人自身の語り方も所謂、「オタク」的ではない開かれた理解、他者に対して開かれた語りが特に印象的であった。今日は独り言で「そんなモノは絶対に嘘だけどな」と言ってしまった。何が嘘なのかは自分にも謎だけどな。

2013年3月12日火曜日

本日休診

 最近は昼休みに、職場周辺を散歩している。段々、日差しが暖かくなってきたので良い気分転換になる。こんな所に神社があったんだ。とかおしゃれなカフェなんかを見つけたりして、独りの時間を楽しんじゃってます。同僚とラーメンを食べに行くお昼も楽しいけど、独りぶらぶらと散歩する贅沢な時間も満喫しています。日常生活の中でちょっとした息抜きや贅沢を見つけて、リフレッシュすることは大人の嗜みのような気がして、嬉しいような淋しいような気がする、なんでもない本日でした。

2013年3月11日月曜日

和解

 空気や風はまだ肌寒いけれど、徐々に日差しは暖かくなってきました。春はもう少しで、つぼみは少しづつその硬さを緩めていきます。不安や希望の入り混じる季節の中でその日差しは時に眩しく私達の眼にささります。両手を伸ばし、日の光を浴びて大きく息を吸い込むと自分の体温と混じり、一体となり歩みはじめます。日の光はさまざまなモノに遮られようとも、弛まず注がれ、終わることなく廻り続きます。季節には始まりも終わりも無く、一つの円はいつまでもとどまる事無く、終わる事無く、私たちの元に必ず還ってくるのです。

2013年3月10日日曜日

あんちゃん、死んでもやめんじゃねーぞ

 以前から興味のあったユング関係の本、河合隼雄『ユング心理学入門』を読んだ。心理学関係の本を読むと自分の内側に余裕が産まれる感覚がある。それは、内面の器のようなモノが広がり深まるからなんだろうか。それは、自分を他者へ向かわせる時にとても重要なモノで動力に繋がっている。それから、自分自身を知るという事は一番難しく、それ故に一番の投資のような気がする。人間には内側と外側の両方に向かう力が発生していて、どちらかに偏ろうという力をコントロールする事が大事なのだと最近、解かる様になってきた。それは決して自身の欲望を押さえ込むという事ではない。自己現実という欲望を押さえ込む事は体に、そして精神に悪い事なのだ。

2013年3月9日土曜日

がんばりましょう

 少しでも野球を知っている人なら、昨日の試合、9回二死からの鳥谷選手の二盗がどれだけ凄いプレーか知っていると思う。何時の日かこのブログを読んで、あのプレーを思い出してどんな事を思うか今から楽しみです。しりあがり寿『あの日からのマンガ』を読んで、改めて3.11を考える時間、機会をこの作品に作ってもらった事に感謝している。そして、あの日から今日までが確実に地続きで繋がっているという事を強く意識させられ、呆然と立ち尽くしてしまう様な感情に襲われた。それは、あの日から今日までの自分自身の生き方に繋がっているからだと思う。相変わらず自分は狭い視野の儘で世界を見て、考え、笑い、悩んで書き散らかしている。つづく

2013年3月8日金曜日

no surprise

 帰りに渋谷を逍遥しました。相変わらず人が多いというか、同時に呼び込みも多いのですが。自分は何をするでもなく、TSUTAYA 渋谷店にてdvdを借りてそろそろ帰ってまいりました。さてさて、侍は勝てるのでしょうか。それにしても、侍とか武士とか将軍とか好きな人多いですね。自分も「歴史」は好きですが、戦国時代とかは苦手です。何故かというと、ごちゃごちゃしているからです。そして、時々思うのは戦国時代とは本当はどんな時代だったのだろうかと。そして、現在は「歴史」としてどの様に語られ、記されていくのだろうという事です。

2013年3月7日木曜日

FamilyMart

 3日くらい前から花粉症で眼が痒くなり始めた。花粉症さえなければ、春は素晴らしい季節なのにと思う人は自分だけではないはず。自分はまだ軽い部類なので、大丈夫なのですが。車内で広末涼子の中刷りを見て、こういう化粧好きだなあと思い。好きな顔=好きな化粧だなと改めて感じていましたとさ。きっちりメイクしてる人の方が好きだ。とかそういう事を考えたり、言ったりする男というのはおそらく、女性に嫌われるのだろうなと思い。そんな事以外にも嫌われる所は沢山あるのだから大丈夫だよ。と自分を慰め、鼓舞しておりました。

2013年3月6日水曜日

You're invisible now, you've got no secrets to conceal.

 頑固の比喩として、何処にでもある石を使おうと思う。このブログでも相変わらず自分の事や考えばかりに固執した文章を書き続けている。少しは他者を使って表現したって良いし、もっと周りを見なくちゃいけないと思っている。それ以前に文体がその頑固さを表しているから恥ずかしいのだが。人前でステーショナリーと言おうとして、サニタリーと言ってしまった。とても恥ずかしい思いをしたけど、何故自分がサニタリーという言葉を知っていたのかは未だに謎の儘です。

2013年3月5日火曜日

oxymoron

 最近、特に熱い話だとか、深い話なんていうのを凄く寒くて、酷いモノとして避けていた。浅瀬で水遊びするように適当に遊んでいる方が楽しいし、ハナシとしても有意義なモノになると思っていた。以前は「馴れ合いは好きじゃないから誤解されてもしょうがない」なんて唄っていたけれども、もうそんな気力も体力も時間もないからかもしれない。自分の中には確実にある葛藤を見て見ぬふりをしながら。それじゃあ、自分達は何の為に話し、笑い、働いて、疲れているのだろう。何の為の言葉や論理やルールなんだろうか。寒いし、酷いし、汚いな。そんなパフォーマンスを自分はどんな顔で演じていけば良いのだろうか。そうなると、自分の中で一番肯定できない十代の自分を何らかの形で擬似的にやり直す事になりそうだ。何時?何処で?どの様になんだよ。

2013年3月4日月曜日

Motherboard

 自分は中年のひよっこだから、中身の在る数字だとか、物語性のある結果だとかほざいていましたけど。地道な数字の積み重ねをすることによって中身が伴ってくるのだし、結果を出し続けていく中で始めて物語性を帯びてくるのだという事を少しづつ実感して理解できるようになってきた。理屈では単なる数字の連呼ではいけないなどと言いながら、実地での経験に乏しいので絵空事になってしまいがちだ。本当はFranz Lisztの『愛の夢』に酔っている場合ではないのかもしれない。

2013年3月3日日曜日

Tirez sur le pianiste

 「責任」という言葉を世間もそうだが、自分自身も易々と使う。その使い方や場合によっては「責任」という言葉が「責任回避」や何かをうやむやにしてしまう行為といして使われ、使ってしまっているような不安を感じる。「責任」を取るという事は行動になるのだが、そう簡単に「責任」ある行動を取る事ができないからこそ、「責任」という言葉が頻繁に使われ、議論の対象になっているのだと思う。事後的に出現する「責任」に対して、人は「責任」を他者と共有してその言葉から、意味を救いだす事はできるのだろうか。その「責任」ある行為を抜きにしては、「責任」ある行動などは不可能な事だ。そこには思想や政治といったモノが梃子になって人を「責任」ある行動へと導くのだと信じるのだが。それは「無責任」な事なのだろうか。その「無責任」すら受け入れ生きる事は何だか凄く不安で不安定だ。

2013年3月2日土曜日

Meistersinger

 坂東玉三郎の舞を観た直後に、はるな愛の甘えた表情を見て、女性を演じる事と女性として生きる事についてぐるぐると考えを廻らせていた。それが人間一般の話になるだろうか。それはならないだろうな。お昼にOKストアーで買った、299円のカツ丼を食べたが恐ろしかった。この値段で、この味である。なんか、此処まで来ると表現する言葉がなくなってしまいますよ。美味しかったですけどね。3月22日公開のPaul Thomas Anderson『The Master 』は本当に公開が楽しみな作品だ。今、自分が考えている事や今、自分が置かれている状況に繋がるような予感が強くする。そんな勝手な想像をしながら、封切を待つのは本当に有意義な余談だ。「お前の話は何時も余談じゃないか」という声も耳に心地よい夜である。

2013年3月1日金曜日

スピード・アンド・ チャージ

 池袋駅構内で裸足でくつろいでいる人がいた。誰でも何時でもできる事とはいえ、深く考えさせられてしまった。帰りの電車で優先席に座りmy bloody valentineの新譜を聴いていたが、一週間の疲れや、モラルが吹き飛ぶくらい素晴らしい作品で。快速電車をやり過ごす各駅停車の車内の中で独り様々な震えや揺れに酔っていました。作品の本来の良さなど当然自分ごときには、理解できないだろうけど拡大解釈や過大評価などの理解や影響も含めて素晴らしいと言える作品こそが、時代を超えていくのだと思う。それは一種の感染力のような力を持っているからなのだろうか。