2013年5月1日水曜日

MULTIPLIES

 昨晩nhkのニュースで震災に遭われた中年の男性が、今年も変わらずに咲き誇る桜の木の下で「地震だからしかたがない」と彼方を見つめながら呟いていた。震災後、至る所で使われ続けた「しかたがない」やそれに似た言葉の数々。関係ないかも知れないが、海棠の桜の下で中原中也と小林秀雄が交わした会話の話を思い出した。その散りゆく桜の花びら一つひとつを追い掛けて、残された私達は「しかたがない」以外の言葉を紡ぎださなくてはいけないのだろうか。中年の男性が呟いた「しかたがない」には少なくとも自分には様々な感情を行ったり来たりした末に言葉が形骸化した後、それでも残る何かがあった気がする。ただ、自分にはそんな気がするだけ。

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