2012年11月3日土曜日

I know I ask perfection of A quite imperfect world

 小説を読んでいて、「これはまるで自分の事を言っているかの様だ。」とか登場人物から「これはまさしく、自分の事だ。」なんて事を思わせられる時がある・・・。作者がある「人間」を創り出し、提示して読者にそう喚起させる。
その様な感覚は、一般的な読書体験に対するイメージとでも言えば良いのだろうか。伝統的な「私小説」の形であり、私的なものが普遍的なモノへ昇華する様。自分にとってはこの感情移入の様な感覚を読書体験から感じることは今までほとんどなかった。
作品と自分との間の距離に対する意識というものは各々あると思うが、この微妙な距離感。センシティブな感覚は時に、作品やそれを読む自分自身以上に気になり、重要な問題になると思う。そして、それは一種の視点の問題となってゆき、何時か自分の眼の前に置かれた文学や芸術という補助的なものが取り払われたとしても、その視点の存在に気付き始める時が確実にやってくる。ただ、そこで現実に見出されるモノは本当にありふれた、誰にとっても特別なモノではなく日常的で生活的なありふれた風景の新しい見え方。
 話が少しスライドしていってしまったが、最近自分が強く感情移入して。もう共感、作品内の人物に強く共鳴してしまう、これははじめてに近い体験で気付いた快感なのだが・・・。そして、その作品は自分としても意外な作家の作品であった。それは綿矢りさという作家の『かわいそうだね?』という作品。
作品内のユーモアの数々。そして、チョット巧い具合に保たれた書き手の距離感。内容もちろんだが、この距離の取り方、この所存が自分に様々なポジティブな力をあたえてくれた。一言で言えばこの作品に恋しちゃったのであり。一目ぼれです。

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