2013年4月12日金曜日

第三者割当増資

 常に宗教は自分の中で興味深い存在であり続けている。その存在をもう少し自分に近づけるために半歩ほど踏み込もうかなと思っている。それは信仰という形とは少し違う、どちらかといえば現代思想でよく使われる「脱構築」のような形で。もちろん、今ある宗教や信仰を否定するような考えではなく、それを偶然やランダムを産む装置として考えられないだろうかと。そこには、個人に対する「無限の責任」が生まれ、おそらく苦しみや苦難を生むかもしれないが。それを通して現れる「自由」こそに意味があり、自分自身はそれを願い望んでいるはずだからである。もちろん、それはありとあらゆるモノが総動員されて行われるべきだし、なくてはならないと足を踏み鳴らしている。

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