うなだれる愛
毎日、満員電車にゆられ、oasisの曲を聴きながら荒川を渡る。もちろん、大きな橋を。はっきりいってうんざりする。この単調で平穏な、いとおしい毎日に対してべっとり手垢のついた視点、感慨しか浮かばない事に対するいらだち。安易に抽象的な比喩に逃げたりする自分。むずかしい話はやめよう、政治や哲学的な事を考えたいなら、U2やradioheadを聴けば良いんだから。
そして、夜はradioheadを聴きながら。人間は欲深いから自分だけ得をしたい、楽をしたい。当然、成功したい。それは決して悪いことではない。しかし、同時に慈悲の「欲」みたいなものが、表裏としてあるのも事実だ。他者が苦しんでいたり、助けを求めていたら哀れみの念や助けてあげたいという思いが自然に出る。これを「欲」という言い方をして良いか解からないが、震災後の多くの人達の行動などを見ると何か論理的なものや打算などを超えた、根源的なものに突き動かされているようなモノを感じた。この二つの面の「欲」を押さえつけるような社会、仕組みはもう一度再考しなくてはいけないのではないだろうか。他にも政治や官僚の制度、仕組みは私達以上に多くの政治家、多くの官僚の為にあるもので、彼らの両欲面が達成できる様に改革していくべきなのではないだろうか。こんな考え方は楽観的過ぎるだろうか。
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