心象風景
大学で受けた国木田独歩の授業は、今でも物事の見通しを考えたりする時に役に立っていて、特に風景と内面が転倒する様は人間の歴史や文化の様々な所で繰り返されている。そこにねじれなどが加わってより複雑な事象になる場合が多いのだが、その複雑さを一つずつ解いていくには、この概念を理解していなくては決して前には進んでいけない。今、自分が立っている場所や立ち位置を明確にする為、思考の土台を確認して踏ん張る時に常に大切な所存になっている。そして、その授業と自分が所属していたゼミは同じ先生である。自分は先生の前で自分の好きな様に話し、振舞っていて甚だ失礼な奴なのだが。授業はもちろんだが先生が創り出す場所、その場の雰囲気に自分は本当に救われてきたし、今でも感謝している。
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