2012年12月9日日曜日

自己‐外‐存在

 すぐに「不安」な感情を発動させる「癖」が付いている事には気が付いている。外的な「不安」を内在化することによって解消する行為なのだが。いつの間にか内的な「不安」が過剰に働き過ぎて、現実を直視する事が困難になり。現実をどんどん肥大化させて大きな恐怖を抱く、悪循環のスパイラルに陥る。この「癖」はあまりに日常の行為になりすぎて、「生活」のリズムにすら成っていたのかも知れない。生活のために全ては集約されて行き、エナジーもそこに集中する。
 今日はJean-Luc Godardの『アワーミュージック』を観てしまった。Jean-Luc Godardは映画のありとあらゆる手段を使い、脱臼させ、私達に観る事を要求する。観る者を挑発し、脅迫、暴力、混乱、破壊の総動員に因って。世界の此処ではない何処かに溢れている事を現前させ、私達に訴え要求する。光を此方に向け、私達を照らしている。私達は私達の歌を私達に歌わせる。
 自身のありふれた日常を「普遍化」へと昇華させる行為。それが誰もが持つ「欲望」でありそれを、発動させる装置が世の中を動かしている事は恐ろしくも悩ましい。

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