individual production
何でも物事を始めるきっかけは必ず他者からであったり、その関係性からでしか起こらないのではないのだろうか。当然と言えば当然だが、イメージとしてはマッチに火が点く時に起こる、摩擦の火花の様な瞬間があり。その初期衝動が人を何かへ向かわせる。もちろん、それだけでは直ぐに燃え尽きてしまうから、その火を直ぐに移し代えていかなくてはならない。より大きなものへと。その作業は全くの個人作業になる場合が多いのだが、その時にはじめの頃の記憶というのは物事を継続していく時に重要に成ってくるのではないだろう。そして、その行為自体に夢中になるか、他者との関係をとるかは、その人が歩む人生の明るさと大きく関係しているのではないか。自分の場合は人間関係より、その火の方が長く燃え続ける場合が多いと思う。それはなんだか、マッチ売りの少女のようだ。
他者からの批判は往々にして、些細な上に的外れな場合が多いが。やはり自分から的を寄せていく様な行為が必要だし、そのくらいの精度が丁度良いのだと思う。あまりに他者に期待し、依存し過ぎる事に良い事など無いし、程ほどの方が自分の場合は、他者をより信頼できる。
世の中、不景気で暗い話ばかりだし、毎日寒くて、個人的にも面倒でつらい事ばかりだけれど。だからと言って必ずしも、自分自身が過剰に暗くなったり落ち込んだりはしない術を最近は知るようになった。だからと言って、面倒な事もつらい事も寒いのも不景気も嫌いである事には変わりはない。それは大事な事。
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