catastrophe
時間のなかなか取れない中、通勤の電車や就寝の前に、僅かだが時間を作って読書する習慣。働き始めたら、読書をする時間も余裕も持てずに徐々に書物から離れていくだろうと思っていたが。読書という行為ももちろんだが、自身の中で読書を欲する気持ちの持続に自分自身驚いている。だから、帰宅の電車内で聴いていたSuperchunkの『Come Pick Me Up』はその儘にBaruch De Spinozaの『エチカ』の本を閉じてその理由を考えてみた。おそらく、結果の方より原因のところに答えがあるようだ。学生の時に読んだ夏目漱石『こころ』の最後にある部分で「始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を判然描えがき出す事ができたような心持がして嬉うれしいのです。」という文章があり、特に自分は「うれしいのです。」という箇所に強く共感し、理解した記憶を思い出した。日々の読書の中で何かを理解したり、感じたりしようとする行為に集中しすぎて忘れていたのだが。自分を読書、書物に向かわせる動機やエナジーはこの「うれしいのです。」という部分に対する強烈な共感、理解が始まりであり原因だったのだ。当然といえば当然の話しだとも思うが。これが「遠近法的倒錯」なのだろう。
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