2013年1月4日金曜日

You Only Live Once

 Friedrich Christian Anton Langの『月世界の女』を観ながらトーキに拠って、映画が失ったモノについて気取って考えていた。それはおそらく、不自由さが生み出す発想や創意工夫の豊かさなのだろうか。映画に限らず技術が進歩していく事はとても素晴らしい事だ。自分は回顧主義者でも何でもないので、素直にそう言える。本当の意味で「現在」の人間が過去を懐かしむ事はできないのではないだろうか。変な言葉の様だが、「現在」という視点から過去を観ている事に於いて発生する感情が働いているので、もはや当時の事を正しく判断する事などできない。新しい過去に書き換えてしまうのだろう。それは過去の作品などを新しいモノとして受け入れる行為でもあるのだが。それから、自分が人間関係の中で重要視するようになった「他者性」なんかもリアルタイムでその場でしか存在しない感覚、感情だ。それは、緊張であったり、人との相成れない齟齬であったりするが、それこそが他者を他者たらしめているモノなのだ。『映画術』中でAlfred Joseph Hitchcockが語っていた、「確実な地点に戻ってやり直せば良い」という一連の答えもそれに通じるような気がする。それがもたらす作品としての応えは多くの作者、作品がそれを物語っている。巧く行かない、問題、トラブル、スキャンダルこれらの連続こそが「映画」自体なのだろうか。それを映し、観る私達の共犯関係はいつまでも続いていく。

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