2013年6月28日金曜日

すもももももももものうち

  せっかくブログ なんだから、少しは文章だけじゃなく写真とか載せればと言われました。たしかに、自分はかってに読んでくれる人などいないだろうと、好き勝手に書き散らかしていたけど、読む人はいなくても見てくれる人がいるというのはブログのありがたいところですね。本当におっしゃる通りで、これからは写真とか絵とかグラフなんか使って少しでも見やすいブログにしていきます。こう書くとなんか、ふてくされみたいだけど本当は嬉しいのです。

2013年6月27日木曜日

tatooあり

  最近、お昼に素麺ばかり食べていたら、素麺みたいな人間になってしまった。素麺のように細く長く生き続けられれば良いのだけど、まあ、悪い部分だけ似てしまってクーラーの良く効いた部屋で素麺マンに変身してます。帰りには、スーパーで卯の花を買って帰るし、何だか身体に良いのだか悪いのだか、お年寄りみたいな食事をとってなんとかかんとか、蒸し暑い日を飛び越えて行きます。

2013年6月26日水曜日

交代要員

  昨晩、深夜に迷惑メールの着信に起こされて、眠れなくなってしまった。しかたなく、ベランダに出て夜風にあたることにして、何となくしていた。草木も眠っているからバイパスと貨物列車の音が聞こえるだけだ。学生の頃は何をするでもないのに、深夜まで起きていて不必要な不安を大きくしていたけど、今になって考えると当時の自分には他人が無駄なことはせずにさっさと寝静まった、この時間を必要としていたのかなとも感じた。無駄は幾ら時間が経っても無駄なままで、自分だけに解るモノであってほしいかなと引き続き流れる、無駄から引き剥がされた時間を少しだけ心地よく感じちゃった。

2013年6月25日火曜日

ビビビ

  頭が痛いのも辛いけど、お腹が痛いのも辛いよね。と同僚とたわいのないおしゃべりを楽しんでおりました。なんかよくわからないけど、楽しい事などの共感や共有よりも苦しい事や辛い事の方が結びつきが強い気がする。客観視すると嫌な結びつきだが、本人達はとても楽しく、充実した時間を過ごしたつもりになっている。こうして私達は毎日、理不尽でよく分からない日常をサヴァイヴしてます。だから、くだらないおしゃべりは大好き。

2013年6月24日月曜日

持久走

 朝、会社の最寄駅に降りると色々な匂いがしてくるのだが、駅前そば屋からする鰹だしの匂いや奥まった路地にある飴工場からするニッキの香りなど。いつか、現在の事やこの場所の事を想いだす時にこれらの匂いも同時に思い出すのだろう。五感の中でも鼻は優秀な方なので懐かしい音楽などを聴いているとそれに付随する懐かしい匂いも錯覚として表れてくる。勿論、匂いに拠って喚起される記憶もあるのだがもともと、楽しい過去を持たない者にとっては、思い出、記憶、過去なんかはできるだけ振り返りたくない事でもあるのだが、好き嫌いを選別できないのもこれらの特徴の一つである。

2013年6月23日日曜日

goo

  小さい頃から悪夢にうなされる時は決まって、尿意を我慢している時が多い。目覚めの悪るさも嫌だが、曖昧な悪夢に安易な意味を与えてしまうこの自分自身のループにも毎回がっかりする。図書館やカフェにいると休日にも関わらず、勉強している人が沢山いる。そのほとんどの人が老若男女関わらず、参考書を開いて試験勉強をしている。自分には無理だなと思い、そそくさと駄読をむさぼっていました。100円のコーヒー一杯でさ。

2013年6月22日土曜日

Stalling

 自分の土曜日は世界中の誰よりきっと、高速で過ぎてしまう。そんな事を多くの人が感じているでしょう。勿論、錯覚なのですが、多くの錯覚が集まればそれはそれで大勢を形成してしまうのも事実なんでしょう。くだらない質問とそれに対する決まりきった答えは逆に思考を硬直させて、人に考えるという事を忘れさせるそうです。自分もくだらない自問自答を繰り返して、腐ってしまった経験があるのでなんとなく言わんとしている事は理解できます。風通しの良い所で生活すれば、腐る事もないんだけど、なかなか込み入った世の中ですから大変ですよ。僕もあなたも私も。

2013年6月21日金曜日

恋をした夜は

 いつの間にか、6月も後半戦で時が経つのは早いな。なんて紋切り型をほざいてみる。6月はジメジメした気候と連休のないおかげでなかなかしんどいです。持て余して過ごした5月の連休を6月に持ってきたいなんて、小学生でもぎりぎりアウトでしょう。今日は花金なので、帰りに何処か寄って漫F画太郎の『罪と罰』でも読もうかと思ったけど、6月の湿気に負けていそいそと帰宅。家の中も中途半端にむしむしするので、何をして良いのか、寝てよいのか悩みながら。結局、ipad mini弄くりながらしょうもないアプリ探しでもして、結局は寝ます。ピーピー

2013年6月20日木曜日

0増5減

 「何かを選ばないという決断」そんな事を言っても、自己の決断なんて結局は外的な要因に左右されるのだから、「決断」なんて偉そうに強調しては言えない。自分の選択だって何一つ自分の意思で選んだなんて言えない。だからと言って、現在の自分の状況や立場を蔑ろにする事はできないしそれとこれとはまた別問題だ。やはり、同じ地続きの様で断絶されている事や全然、無関係な事の様でも繋がりや共通項があるのだと思う。暇な時間が続くと、無駄に不安になってしまうそれが無駄な行為とは一概に言えないけど、何か別のやり方があるんじゃないかと暇にかまけている。

2013年6月19日水曜日

ロマンス2.0

  ゴールというか、おしまいの地点を自分自身で設定して、認識してしまうと幾ら気を張ってもだれて、凭れてしまうね。終わ良ければ。なんて頑張ろうとするけど、思っただけで頑張れるなら永遠にゴールなんて訪れないし、必要などないだろう。くだらないことだけど、マラソンなどのゴールにあるアーチなんかも作る人がいて、それを主にしている企業なんかも当然、あるんだろうな。別にどんなことをしても、何でも良いんだよね。もちろん、最低限の事さえ守っていればさ。この文章はその最低限にさえ届いてないけどね。

2013年6月18日火曜日

私と景色

 普段 言葉を書くこと、読むこと、聞くことなどは当たり前過ぎて、今さらそれらをしているという感覚、実感さえない事だ。もちろん、そんなことを意識しながらしていたら日常生活などまま成らないし、言葉を扱う以前の問題になってしまうだろう。そんなことではなくて、自分は言葉に対する、その無意識のような感覚と曖昧さや不明瞭さが混同してしまっているのではないだろうか。ということを言いたいのだ。もちろん、その態度を否定したり、改めようことなどできるはずもなく、漠然と今より少しは距離を替えながら言葉に接してみたいと考えただけだ。その行為は言葉に対するモノだけではなく当然自分や他者、周りの風景にも影響を及ぼすかもしれん。

2013年6月17日月曜日

Composer

 昼休みに会社の附近を探索すると、銭湯が幾つもある。もう閉鎖されてしまってる所もあるが、自分も小さい時に親戚の家に行ったときなど近くにある銭湯で楽しんだので,、久しぶりに行きたいなと思い、想い出した。自分は風呂が好きと言いながらも、長い時間入ってられないので入湯料を払うのはもったいない感じもするがあの開放的な感じはやはりお金以上の価値があるのかな。古いものが廃れていく事に関して、感傷的にはならないけどそいうモノの存在や移り変わりには興味があるし、何か解らないけど訴えかけてくるモノがある事はたしかだと思う。

2013年6月16日日曜日

「僕」

 明け方のブラジル戦は今までの日本代表の試合の中でも一番印象に残る試合かもしれない。結果、内容共に日本代表の戦い方は物足りない感じがするが、過去の強豪国との試合とは明らかに違っていたような気がするのも確かだ。ブラジルの日本に対する戦い方は今までの試合の中では明らかに違っていたと思う。日本代表も強くなったけど、その分だけブラジル代表の真の強さが姿を現し。一気に突き放されてしまった。ただ、選手もファンもずっと強豪国がある意味ちゃんと戦ってくれる試合を望んでいたし観たかったのだ。そこが顕著に出たのは、やはり玉際の厳しさ。そして、サッカーで一番重要なのは、そこの部分なのではないだろうか。勿論、一番個の部分が強調されるのは紛れも無く玉際で、今回のブラジル代表はとてつもなく上手くて、強かった。そして、これがw杯1年前の今日で良かったのか、それともいつでも良かったのかは1年後に分かるのかもしれない。

2013年6月15日土曜日

Restart

  首にデキモノができて、なんだか居心地が悪い。体調が悪くなる前触れとして、こういうデキモノができたり、口内炎が出現するので少し不安になる。今週はなんとなく、新しい人と関わる事が多かったので疲れたかな。いつも、不満ばかり言っているので少しはお澄ましして過ごしたつけでしょうか。iPad miniの出現で読書や音楽鑑賞だけの単調な繰り返しにアクセントが生まれると思いきや、使う人間が同じなので、やることも同じような事なのであります。

2013年6月14日金曜日

big mac

  初めて、iPad mini を使ってブログを書いているのだが。文字入力が必死で内容など深く考えられない。だが、いつもと違うインターフェイスを使うだけで書く内容や、書き手の気持ちの変化などが起こるか興味があるので、この不慣れな感じが重要なのだが。それにしても、いろんな場所に公共wifiのようなモノが飛んでいて、知らぬは自分だけでどんどん便利になっている。自分は怪我せず、便利さに便乗していけるのだろうか、少し不安にもなったりしながら。やはり、新しいiPad miniを前ににやけてしまう。

2013年6月13日木曜日

梅雨

 いったい台風はどうなっているのだろう。来ないのもなんだか、淋しい気もするんだけどな。反復や構造を認識し、理解してもそこから抜け出す事はなかなか容易ではない。というか、そもそも抜け出す事など不可能か。唯一の希望といえば他者の他者性で、それは日常という場所からは近いようで遠い曖昧な距離にあるような気がする。そんな「曖昧な日本の私」です。

2013年6月12日水曜日

西部戦線異状なし

 新しい人との出会いには刺激があり、勉強になる。自分としてはそういう事を感じられるフラットな状態で初対面の人と対面できる事が一番嬉しい。当たり前の事かもしれないが、自分にはなかなか難しいことだった。他者を大きくしたり小さくしたりして、上手く関係を築けなかった。相手云々も大切だが、良い出会いを逃さない為の準備というか、態度は本当に大切だよ。

2013年6月11日火曜日

見る前に跳べ

 幾つもの反省の甲斐もなく、相変わらず人を善人悪人に分けて安心している。そんな事は文学や映画などからではなく自身の日常生活の中で体験し、知っているはずなのに。そんな安易な安心は自己の投影にすぎないし、あまりに子供じみている。自分の事を棚に上げて、ふてくされ小石を蹴飛ばして挫折だとかほざいている。世の中には才能もあり、努力もしそれでも報われない人が沢山いるにもかかわらず。今日もブログに書いて一安心か。

2013年6月10日月曜日

味の素

 今週も『あまちゃん』と共にスタート。良いのか悪いのか分からない天気でスタートする月曜日。少しくらいの天気の違いでは日常の違いが判別できないほど、脳みそがつまっている感じがする。おそらく休日が失敗に終わった証拠かもしれない。ゴメンネipad miniは家に忘れてしまいました。同僚に自慢することなく帰宅。一日何をしていたのか思い出せないけど、やる事はしっかりやってあるので大丈夫なのだけど、こんな日々を過ごしている事には不安にはなります。内容のない月曜日からの始まりはじまり。

2013年6月9日日曜日

shaky-cam

 恒例の銀座にて散髪。今日は逍遥はせずに散髪だけでそそくさと帰宅。自宅でSam Raimi『死霊のはらわた』を鑑賞する。ただ観るという行為に終始して何かを見出す事はやめてとりあえず集中する。その間に自分の頭の中をなんだかイヤらしい事が右往左往していた。映画が終わっても画面の前から離れられずにいると、気が付けば23時。急いでお風呂に入り、こんな事をしてはいけないという事を後に残すためにブログを書き。やれやれ明日の為に寝る。

2013年6月8日土曜日

まるさんかくしかく

 今日は念願のipad miniを購入するが、自宅すらwi-fi環境にないため、北がどっちかをひたすら確かめる作業に終始する。これで生活は変わるだろうか。「いやいや変わらないよ」と言いたいところだけど、今後の為に「変わるんだ」と思い込んでみる。このブログもipad miniから投稿できるようになれば少しは違った感じの文章が書けるかもしれない。場所や雰囲気によっても書く文章や自身が感じ、思うことは違うはずだもんね。るるるー

2013年6月7日金曜日

ロイスアンドロイス

 帰宅途中に渋谷のtutayaにてcdとdvdを沢山借りて、週末の準備を整える。ささやかな楽しみの時間。鑑賞する時間と同じくらい選ぶ時間が充実している。僅かな自己選択だけど、これがなくなってしまっては何の為に生きているのか、上下の感覚がなくなってしまうと思う。そんな細々とした自分とは対照的に渋谷の街は賑やかで派手やかだ。油断すると持って行かれてしまいそう。足早に電車に乗り込み渋谷を後にして郊外へといそいそと帰って来ました。

2013年6月6日木曜日

sabbaticus

 ホームに並んでいた大人達に向かって少年が突っ込んで行った。私は「嗚呼、テロだな」と思い顔を背けたが、何も起らず時間通りに列車がホームに入ってきた。それに乗り込む私達。 Ludwig van Beethovenの『皇帝』を聴きながら帰宅。途中、イヤホンを外し名演奏家の名曲から途中で降りて夜道を歩いて行く我侭で贅沢な歩みを自分に許す。家に帰れば、そうでも無いのにきっちりと疲れがでる。一種の安心の表れと考え安心してだらけ、眠る。

2013年6月5日水曜日

Confederation

 例えば、電車で本を読んでいてその背後にある車内だとか、車窓に流れる風景の実存性を保てなくなり文章から眼を離すのが怖くなる。作品でも現実でもない第三の場所に置き去りにされる感覚に陥る事がある。此処、2、3日くらい頭がフリーズしている感じで記憶が曖昧なのと時間が経過するのが恐ろしく早くて困る。それから、隣の席の人に寄りかかられるのは余り良い気分ではない。例えそれが綺麗な女性でもだ。

2013年6月4日火曜日

つるつるの壷

 公正な競争が社会の秩序を創りだす事はあると思うが、その公正さの目安を決める競争がある事も事実だ。公正さやルール創りの主導権争いを制したものがイコール競争の勝者になる事は誰もが知っている事。もはや、そのルールすら公にされず一部の人間にだけ共有され。支配されているモノも多くある。社会で働いているとそういう事を感じる機会が多くどうにもならないという諦めんのような事も感じるが。一方でその隙間を縫いながら進んでいく快感もある事もあることに気づく。なんだか抽象的な言い方になってしまうのは、まだまだ社会人としてひよっ子な証拠でもある。

2013年6月3日月曜日

CQ

 満員電車でみんながスマホでゲームをやるもんだから、自分もしたくて堪らなくなる。買ってやれば良いのだがハマリすぎて他の事を何もしなくなる惧れがあるので、自制心が乏しい自分は躊躇ってしまう。なんか、文章にしてたらどうでも良い事に思えてきました。震災から2年以上経つのに当たり前のように帰宅困難者が多く居て、除染も進まず、依然高い放射能値を示す場所が広くある。浮気だろうが本気だろうがなんでも良いけど、困難な事は相変わらず進まず。諦めだけがどんどん増えている。唯、疲労だけしているのは自分だけだろうか。

2013年6月2日日曜日

コンプライアンスとモラル

 お昼はお気に入り。新宿にある中国人だらけの立ち食いそば屋のカレーを食す。最近では珍しくなった何の変哲もないカレー。カレーという安心感で満たされるのでそれだけで充分なのだが。メインは渋谷での2 7 10 12 14のboxを購入しトントン。帰りは明治神宮の参道を通って、パワーを貰う。いつもとは違い、外で過ごした休日だったがこの方が充実してるし体も回復するよ。

2013年6月1日土曜日

ヘンタイよいこ

 誰かが自分勝手に横切りながら、小説を読む。ある種の雑念なのだけど、それを許してくれる作品と許してはくれぬ作品がある。それを許してくれる作品は著者の倫理か、いやいや優しさなのか諦めなのか。明確な意図があるかもしれないが、それを読者に訴えないことが小説の枠であり暗黙の了解。その境で無知や怠惰を貪る。その仕草を与えられて、私はどうでも良い過去や他者を許容範囲の狭い内に溜め込んでしまう愚行を今、今更を薄めてその繰り返しを許し、最後には許されざる状況に追い込まれていくのか。つまらぬロマンはその文体の中に埋没するのか、現実に埋没するのか選択をせまり、その間で何者でもない自分自身への行動へ巡り巡って、差異を打ち消し逆に目立ちその上で不安定に踊らされる。踊りに許しも何も無い、あるのは揺らぎだけ。卑屈で屈折したステップは見るものを不安にさせる。どうでも良いゲームの中の緊張だとか。